2008年03月

本当のヒーリングには、トランスフォーメーションには、愛には、痛みと恐怖が付き物

ヒーリングってなにか気分のいいもの,心地のいいものように思われています。
トランスフォーメーション(本当の変化)は、エキサイティングなものと思われています。

でも、Real Healing is painful. Real transformation is painful and fearful.
どうも、とても怖いものであって、苦しいものです。

心が、身体が、本当に変わるときには、怖くなるものです。
まして生き方が変わるとき、変えるときには、怖くなって、痛くなって、もとに戻りたくなるものです。

カジュアルな変化や、ヒーリングは、心地が良くって、楽しいものですが、もっと根本的なものが変わろうとするときには、そうは楽しいものでも、快適なものでもないのです。

だから、元のところに戻ったりすることが多いのです。
決して今までいたところがベストではないのだけれど、でも、多少我慢しているとそんなに悪くないし、もっと良い事が起きるかもしれないしと先にいくのを止めてしまう。
良い事なら楽しいはず、愛はエキサイティングなものというハリウッドの信仰が、ニューエージな考えが、正しいことならスムースに運ぶはずという信仰が、ますます、苦しさを恐怖を真正面から見ることを避けてもいいようにさせてしまっている。

苦しさ、怖さ、疑A生き方を決意しそうな時には、身体が、心が直そうと決意しそうな時には、必ずといって、痛みや、疑いが沸いてくる。心にで出たり、身体にでたり、お金にでたりする。

そういう痛みや疑惑や、悲しみに、立ち向かう強さは何所から出てくるのだろうか。僕らは、快適であること、心がわくわくすること、そこまでもいかなくても、なんとなく安心する感じのところに引き寄せられている癖を養ってきてしまっている。
だから戦わずによどんでしまっていて、また、戻ってしまう。

時々は、人生の中で、戦わなくてはいけないときがある。これは静かだけれど強いパワーだ。

そういう強さが隠されている微笑が大好きだ。

どういう痛みなのか、抵抗なのかを見極める洞察力と、いつでもそれらに立ち向かえる力のある優しさを、持ちたいと思っている。
そしていつでも自分も相手も負けてもいいと思える優しさを同時にもちたい。

感情と瞑想

昨日の日記で、なんか反応が多くって、何の気なしに書いたのですが。
ちょっと不足していた部分がありました。
僕は昔、短気で感情的だったのです。いまでも、そういう気質はあるのでしょうが、殆どそうではなくなって来たのに気がつきました。
それは年齢を経たからではなく、やはり、瞑想のおかげだと思います。
タオゼンの瞑想をしていると、自然に自分の感情をそのままに感じることが実感で分かるようになってきます。
そうすることで感情が深くなるのと同時に、感情に囚われない自分がどこかに存在することも分かってきます。
そうすると自然に身体も健康になってくるし、生きるのにビクビクしなくてもいい自分を見つけ出すこともできます。

人間は感情の動物です。でも感情や気質も変化が可能です。

まだまだ、未熟だけれど、瞑想の効果の大きなところだなあって、最近とくに思います。

いくつになっても、生き生きした感情を生きながら、でも、どこかで自然にバランスが取れている。そういう生き方をしていけたらいいと願っています。

NYは、僕を強くした。NYは、僕を大雑把にした。寂しいダイナミックな都会。

NYに戻って、NYについていろいろ考えます。
僕は大人の時間の殆ど(25歳くらいで大人になったという仮定で!)
をこの街で過ごしています。
僕は自分で日本人の中の日本人だという気概があるのですが、最近、日本で過ごす時間が多くなってきて、分かってきたことがあります。
どうも、僕は典型的な日本人ではないようだと、少なくとも現代日本人男性ではないかも?という自覚を持ち始めました。(遅いかなあ?)

自分についてのイメージってあると思いますが、僕が持っている僕自身のイメージと言うのは ?心も身体も繊細でか弱い’?短気で感情的’というのがあるのです。これも最近、どうも違ってきているなあって思ってきています。
NYという街と、タオゼンが、僕の心と身体を結構強くしたようです。
僕自身が強いというイメージがなかったのですが、なかなかヘタバラナイ、疲れない、ちょっとしたことでは、へなれない。と同時に、僕はかなり大雑把で鈍感だということも分かってきた。そうでないとココでは生きていけないのかもしれない。殆ど、自分一人で切り開いて生きてきたわけで、それはそれなりに大変だったはずだけれど、全くそういうものが身についていない。苦労が身につかない、細かいことに気がつかない。これは、やはり相当、大雑把、まあ、無理に言い方を変えると爛漫。
そこの土地や文化が、気がつかないうちに、人の心や身体に影響を与えるんだなあって、感じています。だから、そういうことも意識していかないといけないんだなあと思います。
日本の嫌なところと、USの嫌なところを混ぜたような人間にならないように。

それにしてもNYは、個人にはとても厳しく、寂しい街だなあと、帰ってくる度に感じます。一人一人が戦っています。寂しさを引きずって生きています。自己主張をはっきりしないと忘れられていきます。空気なんか読んでいる暇はありません。(だから僕は空気を読めないのかなあ?気は読めるんですけどねえ)。でもダイナミックなグローバルな街であることは確かです。

このニューヨークに28年ほど住んでいる。深刻な不眠症にもなった、大変な失恋も何度かした、大変な事業の失敗もした、人に何度もひどく騙された、床が傾いていて窓が閉まらず雪が部屋に入ってくるところにも住んだ(合計20箇所くらいのところに住んだんです。
でも、素晴しいことも数限りなくあった。やはり大好きな街の一つです。
こういうNYが、僕の故郷になってしまっているのにも、なんかガッカリというか、ビックリしています。
でも、そろそろ、この街から距離をおいて、旅たつ必要があるかなあって深いところで感じています。

日本は桜ですね。
来年の今ころは、ぜひ日本にいて、夜桜を皆で楽しみたいなあ。
酒を飲めたら、いいだろうなあと思う、瞬間の一つです。

NYでのタオゼンクラス。

NYに着いて、すぐにタオゼンのクラスを始めました.
月曜は太極拳、火曜は呼吸法、水曜は禅堂で瞑想と気功という具合。
夕べのオープンセンターの呼吸法のクラスは定員をオーバーして教室いっぱいの人だった。
予定した内容の半分くらいしか出来なかったけれど、なんかとても感動的なクラスだった。
涙がいっぱい含まれたクラスだった。

僕はワークショップやクラスの前には、大体のプログラムは予定しているのですが、あとは、その場に任せています。同じ内容のものでも、いつも違うことになります。もっと同じパッケージにしようとおもったこともあるのですが、それは僕らしくなかったのでやめました。
アメリカの有名な自己啓発系の人たちは
ほとんど全く同じことをしています。どこに行ってもどんなひとの前でもジョークまで一緒のようです。それだけ優れたパッケージになっているわけです。僕もそうしようとトライしましたが、どうも僕にはできません。
同じ瞑想をしても毎日違う、同じ太極拳をしても毎回違うのです。その違いが無ければ詰まらないですよね。

特に禅堂でやっている毎週水曜のクラスは、全くプログラムのないクラスです。そういうことも日本でもやっていきたいなあと思っています。

久しぶりに太地喜和子さんのことを。。

今夜は、20年以上のお付き合いをさせていただいている出版社の方と夕食をいただきました。この方は様々な女性誌や男性誌などの編集長をされた方ですが、物腰が柔らかい素敵な方です。新橋にある7席しかないフレンチレストランで食事をしてから、銀座のバーに同行させていただきました。
このバーはその道35年といわれるゲイのマスターが一人でやっているところで、歌舞伎や芸能の方たちも来るところだそうです。なにか、そういう歴史をさりげなく感じさせるバーです。

そこに太地喜和子さんと杉村春子さんが一緒のスナップショットが置いてありました。
太地さんの表情が自然なのがとても印象的。

僕は実は文学座の演出部に所属していたことがありました。大学の4年のときから研修所にはいり3年ほどお世話になりました。

そのころアトリエ公演などの助演などもしましたが、太地さんが時々現れたりしていました。
そのころは既に、大変な人気女優だったのですが、気軽でとてもリラックスした感じの素敵な印象が強く残っています。以外に小柄な身体になんともいえない魅力のある女性でした。

よくこのバーに太地さんはいらしていたらしいのです。マスターも太地さんのファンだったそうです。

なんかジーンとさせる力のあるスナップ写真、そしてバーとマスターでした。

僕の青春の香りみたいなものを感じました。

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